あれから3年。

東日本大震災から、3年が経ちました。

昨日はサークルに参加していたので、午後2時46分は帰りの車の中。
黙祷のためコンビニの駐車場に入り、その時を待ちました。

あれから3年。(当時のブログの記事

息子の中学の卒業式の前日だったこと、
福島から来ていた母がテレビにかじりつき原発の様子を見守っていたこと、
夫が連日沿岸に検案に出かけたことなど、
いろいろと思い出します。


来年も再来年も、きっと、お婆さんになっても、3月11日のことは忘れないと思う。
あれから一度も帰っていない実家に、今年こそは帰ろうと思った。

怖かった、地震。


17時18分の地震、こちらは震度5弱だった。
タイミングが悪いことに、私は娘をひとり家に残し、コンビニに行った時だった。

レジで並んでいると、前のお兄さんのスマホから緊急地震速報。
「あっっ」っと思ったときには、もう揺れた。
と同時に、娘に留守番をさせてしまったことを激しく後悔。
娘が恐怖でパニックになり、泣き叫んでいたらどうしよう、
先日のツリーが(重さ10キロ)、娘に向かって倒れていたらどうしよう〜。

大慌てで手に持っていた商品を近くの棚に置き、家に向かって200メートル、猛ダッシュ。
ガタガタと大きな音を立てて揺れている、建設中のマンションの横を走り抜けた時は、恐ろしかった。
あっという間にマンションに着いたけれど、エレベーターに乗るのを避け、7階まで階段を駆け上がった。
普段の運動不足がたたり、口から心臓が飛び出しそうなほど辛かった(涙)

娘の名前を呼びながら扉を開けると、
なんと娘はコートを着て、ポシェットを下げ、逃げる準備をしていた(汗)

家の中は、夫の書斎で棚から額や小物が落ちただけで、他は大丈夫だった。
ツリーもね。

あぁ、本当に怖かった。
しばらく娘を抱きしめ、動くことができなかった。
私は走っていたから、揺れの大きさや時間がわからなかったけれど、今回も長く揺れたらしい。

それにしても、娘には驚かされた。
テーブルの下に隠れ、揺れがおさまってから支度をしたそう。
去年の地震の後は、緊急地震速報の音が聞こえるたび、少しでも揺れるたびに、怯えて半べそだったのに。
学校の避難訓練の成果もあると思うけれど、成長したんだと思った。

私、すごく、疲れました。
今日は、早く休みます。

みなさまは、大丈夫でしたか?


血液型?出身地?

新聞やテレビで報道されている、復興担当相の放言の数々。

被災県に住む身としては、あり得ない、信じられない、怒りが込み上げてくる。
叱咤激励、という意味もあったらしいけど、天災は誰の責任でもないわけで、叱咤される筋合いはない。

その後の言い訳に、また呆れた。
B型だから?
九州男児だから?
そんなことは、関係ないでしょう。

B型の方にも、九州の方にも、被災地の方にも、失礼千万です!!



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夫が見た宮古

先週末、宮古市で日当直をしてきた夫が、写真を撮ってきて見せてくれた。
一ヶ月を過ぎたのに、まだまだ大変なんだなと思った・・・

写真を数枚借りたので、載せてみます。


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IMG_5924_convert_20110418205752.jpg これはフェンスじゃなくて、線路です。

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IMG_5882_convert_20110418205300.jpg 一度乗ったことがある、浄土が浜の遊覧船。

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沿岸に向かって車を走らせると、『三陸大津波はここまできました』と看板が立っている。
見かけるたびに、「ここまでって、あり得ないよね。」と話していたけど、今回の津波はそれを上回る規模だったなんて・・・信じられない。

ここ数日、身体に感じる地震がまったくない。
揺れるのはイヤだけど、こんなに静かなのはかえって怖い。
夫は明日も沿岸の被災地へ行く。
大きな余震がきませんように。


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震災から一ヶ月

3月11日の東日本大震災から、今日で一ヶ月がたった。
早かったのか、長かったのか・・・でも、生活が変わってしまったのは確か。

そのつどブログに書こうと思いながらも、気力がなくて書けなかった日々のコマゴマとしたことを、まとめてみた。





子ども達のこと。

息子は中学を卒業し、娘は幼稚園を卒園した。
中学校の卒業式は簡素化されて行われたけれど、卒業生160名が一人ずつ卒業証書をいただけて良かった。
最後のホームルームは時間が決められていて、涙のお別れが、違った意味で寂しい別れになった。
担任の先生は、『命・時・人』の3つを大切に生きるように、震災の復興を頑張るのは大人になった君たちだと、話してくださった。

卒業式が震災の影響で重なってしまった子ども達だけど、今度は入学式も重なってしまった。
午前中が娘で、午後が息子。
夫が仕事を抜けられなかったため、娘は自分の入学式で疲れた後、お兄ちゃんの入学式にも付き合わされ、クタクタでかわいそうだった。
そしてこの日の夜、大きな余震で停電になり、翌日は二人とも初登校のはずが臨時休校になってしまった。

そして今日、やっと二人とも初めて登校することができた。
地震から一ヶ月、お稽古ごとや様々な予定が中止になり、私+子ども二人の三人で、ずーーーっと過ごしていたから、
今日、私は一人きりになれて本当に嬉しかった。
いくらかわいい子でも、ベッタリは疲れる。

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春の冷たい雨の中、登校する娘。ランドセルの上に、体操服の入ったリュック型の巾着を背負っている。


娘を送り出した後に、私が絶対にしなくちゃいけなかったこと・・・それは、おひな様をしまうこと!(呆れたデショ)
実家から来ていた母に、おひな様を見せてから片付けようと思っていたら、地震が起き、片付ける気力もなくなり、ついに今日になってしまったぁ!!
娘の婚期が遅れたら、きっと私のせいだと思う(汗)

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おひな様を片付けた後に、今度は息子の兜を飾った。
こうやって飾るのも、これで15回目。大きくなったものだわ。
今年は高校受験に失敗したけれど、3年後は笑えるように、マイペースな性格を修正するところからやってほしい。





私のこと、など。

私は、地震後に食欲不振で2キロ痩せた。
それなのに、先週の余震で停電した後から食べたい欲求に襲われ、この数日であっという間に2キロ戻ってしまった。
とても残念。

スーパーやコンビニには、商品が戻りつつあるけれど、棚がいっぱいになることはまだない。
ガソリンは、3週間を過ぎたころから行列ができなくなり、我が家でも入れることができた。
そうそう、悲しいことに、以前、記事にも書いたガス爆発が起きた百貨店は、倒産してしまった。


3年使った携帯電話(右側)を、先週、機種変更をした。(震災割引でおトクだったの)

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ピアノは・・・ボチボチ弾いている。
今日は、近所のレッスン会場でレッスンを受けた。
先生に、ガソリンが手に入ったのだから、金曜日に自宅にレッスンに来るように言われた。
4日しかない、明日から本腰を入れて練習しなくちゃ。





今日、午後2時46分に、娘と息子と三人で、黙祷をした。
被災地が今までの生活に戻るには、大変な時間がかかると思うけど、一日も早く平穏な日々が戻りますように。


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電気が戻った!

今日の午後の2時頃に、電気が復旧しました。

オール電化マンションなので、電気が止まると、水も火も使えなくなりとても不便です。
(大震災の後、カセットコンロとボンベを用意したので助かったけれど)

思ったより早く復旧しホッとしたけれど、とても長い一日でした。

普通の生活が、なんてありがたい事か!
今夜は、余震がありませんように・・・

地震、そして停電

携帯からの更新です。

先ほど、11時半頃に強い地震がありました。とても恐かったけれど無事です。ただ、また停電になってしまいました。

昨日7日は、子ども達の入学式で(また重なった)、今日から登校だったのに…どうなってしまうのでしょう。
今夜は夫が当直でいなくて心細いけど、朝になるのを待ちたいと思います。
停電が早く復旧しますように…。

レッスン3/28 下手なのは体調のせい?

地震後、一度もガソリンを入れられず、灯油もない我が家。

ガソリンがなく先生のお宅へレッスンに伺えないし、発表会に出ないからいいやと思い、レッスンはしばらくお休みする予定でいたけれど、
発表会が延期になり参加することにしたので、どうしたものかと思っていたら、
先生が私の家の近くのレッスン会場でレッスンをする時に、見てもらえることになった。

先週からの発熱で、体調がすこぶる悪い私。
でも、月曜にレッスンできます、と言われたので、咳をゴンゴンしながら薬を飲んで行ってきた。

この会場は、とても小さな部屋に、小さなグランドが入っている。
エアコンがガンガンで、ボーッとした頭がさらにボーッとなり・・・。
先生に、体調が悪いことと、咳が出るのにマスクを忘れたことを謝り、レッスンスタート。

レッスンは、レントよりおそく、のみ。

一度弾くと、『ペダルが変ですよ。』と。
いつも通りふんだはずなのに、深くふみすぎていることと、タイミングがずれていることを注意され、もう一度。

すると、『今日、お薬を飲んでますか?注意したのに、こんなにタイミングがずれるのはおかしいですヨ。』と・・・

う~ん、たしかにレッスン開始後から体温が急上昇で、気分はお湯に浸かりながら弾いている感じ?
でも、ペダルが変なのは体調のせいだけではないような・・・。
慣れないピアノと、小さな部屋で先生がとても近くにいて(視線が痛いぐらい)変に緊張したことと、
練習不足と、私のやる気のなさもあるような。(←モチベーションは低いまま)

結局、『今日はもう帰って休みなさい、明日以降練習する時にペダルのことを思い出してね。』ということで、
レッスンは15分足らずで終わってしまった(トホホ)。

次回のレッスンは4月4日、月曜日。またこの会場で。





私が風邪をひいた原因のひとつに、寒さがあると思う(あとはストレスかな)。
普段リビングでは、エアコンとファンヒーターを使っているが、地震後は灯油を買えずエアコンだけで過ごしている。
さむーい当地で、エアコンだけは非常に厳しい。
おまけにリビングの大きな窓は北西を向いていて、日差しが入らない。
ブクブクになるほど着込んで、背中にカイロも貼っているけれど、それでも寒い。

今、いちばん欲しいもの、それは間違いなく灯油。ガソリンは、車に乗らなければ済むから、まだ我慢できる。

スーパーやコンビニの棚がガラガラなのも見慣れ、今日手に入る物でその日食べることができれば良し、と言う感じの毎日。

先週、関西に避難した母は買い物に行き、明るい店内、溢れんばかりの食べ物を見て、本当に驚いたと話してくれた。
盛岡とは別世界だよ、と。
ここにいた時に、苦労して一緒に買い物をしたから、余計にそう思ったのかも。

そして今日、母から山のような食料品が宅急便で届いた。
中には今、ここで手に入らないもの、カレーのルーやウインナー、豆腐、納豆、もやしまで入っていた。
(私は徒歩で行ける近くのスーパーのことしか分からないけれど、遠くのスーパーにはあるかもしれません。)

大切に食べようと思う。
お母さん、ありがとう。


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百貨店、爆発

昨日14日の朝8時頃、私の住むマンションから150メートル離れたところにある百貨店が、爆発した。
家の周りの道路は封鎖され、救急車と消防車が激しく行き交い、一時あたりは騒然となった。

地下で爆発が起き、4つある入り口が吹き飛び、1名が亡くなり、11名がケガをされたそう。
現在は建物が崩壊の可能性もあり、原因の調査はできていないが、ガス爆発らしい。

商店街の中にあるこの小さな地元の百貨店は、私がほぼ毎日食料品を買いに通い、
生活する上でなくてはならないお店だっただけに、とてもショック。

この前日(13日)に数時間だけ、一階と地下の売り場が営業された時に、私は母と娘と2時間がかりで買い物をした。
この時に爆発が起きていたらと思うと、恐ろしい・・・




息子の卒業式はまた延期になり、週末の娘の卒園式の日と重なってしまった。
身体はひとつしかないから、どちらかの卒業式にしか参加できないわけで・・・
娘の卒園式は残念だけど、私は息子の卒業式に参加したいと思っている。

今日はリハーサル室を借りる予定だったので、卒業式も延期になったことだし、ピアノの練習に行こうと思うと話したら、
夫と母に、緊急地震速報が出るかもしれない時に、何を考えているんだと叱られ、あきらめた。





夫は勤務している病院から、被災地に派遣されることになった。
とりあえず生活ができている私達にできる事は、なんでもしたほうがいいと思う。
夫には気をつけて、頑張ってきてもらいたい。

ライフラインは確保されたものの、今後の物資の不足を考えると不安になる。
コンビニやスーパーは、品切れのために閉店してしまったお店が多い。
ガソリンスタンドも同じで、地震直後に3時間並び10リットルの給油をしたと、友人は話していた。
我が家の車は不幸なことに、地震発生時に給油の赤ランプが付いていて、ガス欠の恐れからスタンドに並ぶ事もできなかった。
この日、ピアノのレッスンに出かけるのに車をつかったので、その帰りに給油してこなかった事が悔やまれる。
灯油も、ファンヒーターに入っている分でおしまい。





福島の原発は、ますます深刻な事態になっているし、一人でいる父のことも心配。
今までの生活に戻るのに、いったいどれぐらいの時間がかかるのだろう・・・


地震、ライフライン復旧

昨日、11日の地震は、私の住む盛岡では震度6弱だった。

延期になってしまったけれど、本当は今日、12日は息子の卒業式で、昨日は私の母が実家から来てくれていた。

娘と3人、仲良くトランプをしていたら、携帯から聞き慣れない音が鳴り、見ると緊急地震速報だった。
あっと思った時には、グラグラと揺れ始め、立っていられなくなり、慌ててヒーターを消し、母と娘と3人で玄関に。

いつまでたっても激しい揺れはおさまらず、夫の書斎から掛け時計が落ち、揺れで廊下までガラスが飛び散り、そして停電に。
本当に恐ろしかった。

停電と同時に水道もでなくなってしまった。

そのまま夜になってしまい、暗闇の中ひっきりなしに続く余震に怯え、じっとラジオを聞きながら、一晩眠れなかった。

朝をむかえても電気が復旧する見込みはなく、水汲みと買い出しに走りまわることに。

午後は、県庁へテレビを見に出かけ、初めて知った災害の規模と映像にショックをうけ、泣きそうになってしまった。

今夜も寒さと暗闇の中、眠ることを覚悟していたら、18時10分、電気が戻ってきた。
それと同時に水道も出るようになった。

明かりがともり、温かいお茶を飲めた時には、心の底からホッとした。


沿岸での被害を思うと、心が苦しい。

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商店街の時計は、地震の起きた時間で止まっていた。


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岩手県庁前。